福岡県大牟田市 普光寺の臥龍梅
2008年 2月13日 福岡県大牟田市 普光寺の臥龍梅
南関町まで行けば、福岡県と言えども直ぐ近くの場所にあります。残念なことに臥龍梅の見頃は2月末以降の様子で蕾がほころび始めている所でした。でも、普光寺全体が梅の花に埋もれている感じで色々な花が咲いており楽しめました。まだこれからの時期に観光客も多く、最盛期には相当な人出になるのではないでしょうか。
また、普光寺に上って行く途中のには、三池藩主立花氏の菩提寺「紹運寺」、「法輪寺跡」には初代藩主直次の五輪塔等を見ることができます。
臥龍梅
『臥龍梅は普光寺所在の文化財の中で最もその名を広く知られ、親しまれています。年々の気候によって若干開花時期は前後しますが、早い年で2月中旬、遅い年では3月下旬に見頃を迎え、見事な八重咲きの紅梅がふくいくたる香気を辺り一面に放ちます。
南側にある親株から北に向かう伏状枝が地に触れたところで発根し、新たな株を作りつつ伸びて、現在では17株、24メートルの長さになっています。樹齢は350年はくだらないという推定があり、また、「普光寺誌」によると800年となりますが、正確なところは不明です。』
境内の梅
普光寺本堂(観音堂)および厨子
『本堂は、中央部に4本の円柱をおき、周りを12本の角柱で囲んだ古代の「一間四面堂」の形式を引き継いでいる。また前方の円柱を境に前後二堂に分け、中世の密教仏堂に見られる外陣(前方の堂)と内陣の構成をなす。17世紀中期(江戸時代前期)の形を保っており、県内でも同時期のものは殆ど無く極めて貴重である。厨子は、中に本尊(千手観音菩薩)を安置する。力強い造形と整った美しさを持ち、江戸時代前期を遡る可能性があり、文化財としての価値は高い。』
今山普光寺並びに定林寺石塔群
観音堂の裏手にあり、元々普光寺一帯の三池山麓に散在していたものを境内に集めた配列したそうで、五輪塔74基、宝印塔4基、特殊な形の石塔5基の総数83基があります。制作年代は正和6年(1317年)から永正17年(1520年)の二百年に及んでいます。
帰り道の境内で
普光寺への道 紅葉の時期も良さそうでした。
法輪寺跡の三池藩立花氏の五輪塔
上りの道路脇も祭の準備もでき、梅も咲いていました。
場 所

南関町まで行けば、福岡県と言えども直ぐ近くの場所にあります。残念なことに臥龍梅の見頃は2月末以降の様子で蕾がほころび始めている所でした。でも、普光寺全体が梅の花に埋もれている感じで色々な花が咲いており楽しめました。まだこれからの時期に観光客も多く、最盛期には相当な人出になるのではないでしょうか。
また、普光寺に上って行く途中のには、三池藩主立花氏の菩提寺「紹運寺」、「法輪寺跡」には初代藩主直次の五輪塔等を見ることができます。
臥龍梅
『臥龍梅は普光寺所在の文化財の中で最もその名を広く知られ、親しまれています。年々の気候によって若干開花時期は前後しますが、早い年で2月中旬、遅い年では3月下旬に見頃を迎え、見事な八重咲きの紅梅がふくいくたる香気を辺り一面に放ちます。
南側にある親株から北に向かう伏状枝が地に触れたところで発根し、新たな株を作りつつ伸びて、現在では17株、24メートルの長さになっています。樹齢は350年はくだらないという推定があり、また、「普光寺誌」によると800年となりますが、正確なところは不明です。』
境内の梅
普光寺本堂(観音堂)および厨子
『本堂は、中央部に4本の円柱をおき、周りを12本の角柱で囲んだ古代の「一間四面堂」の形式を引き継いでいる。また前方の円柱を境に前後二堂に分け、中世の密教仏堂に見られる外陣(前方の堂)と内陣の構成をなす。17世紀中期(江戸時代前期)の形を保っており、県内でも同時期のものは殆ど無く極めて貴重である。厨子は、中に本尊(千手観音菩薩)を安置する。力強い造形と整った美しさを持ち、江戸時代前期を遡る可能性があり、文化財としての価値は高い。』
今山普光寺並びに定林寺石塔群
観音堂の裏手にあり、元々普光寺一帯の三池山麓に散在していたものを境内に集めた配列したそうで、五輪塔74基、宝印塔4基、特殊な形の石塔5基の総数83基があります。制作年代は正和6年(1317年)から永正17年(1520年)の二百年に及んでいます。
帰り道の境内で
普光寺への道 紅葉の時期も良さそうでした。
法輪寺跡の三池藩立花氏の五輪塔
上りの道路脇も祭の準備もでき、梅も咲いていました。
場 所
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