八代市 「遥拜頭首工管理」近くの桜
2010年 3月28日 八代市 「遥拜頭首工管理」近くの桜
球磨川に平安時代末から鎌倉時代初めにかけて杭瀬が造られた場所で「遥拜の瀬」と呼ばれていたそうです。現在では近代的な堰に変わり、管理事務所等工事を記念して桜が植えられた公園になっています。桜は、豊葦原神社とその裏山に咲く桜が一体になってなかなか見事です。
『遥拜頭首工の歴史
八代最古の大仕掛けな農業用水堰で、古くは八代城主名和氏時代に川の中に杭を立て並べ、しがらみを施した杭瀬といわれる用水堰がありました。約360年前、加藤清正により大型の石割や自然石を用いて石堰に改築されたと伝えられています。昭和23年にコンクリート造りとなり堰の高さは3mに強化され、水田かんがいの要となりました。日本経済の発展にともない、農業経営も近代化の必要性にせまられ、八代地方の農業も大きく発展すべく八代平野農業構造改善土地改良事業が進められることとなりました。これに伴い農業用水等の確保が必要になり、昭和42年フローチングタイプの頭首工が築造され、旧堰は取り壊されました。昭和36年から平成3年まで堤体及び護床工事の改修を終え、現在に到っています。』
豊葦原神社からの眺め
球磨川(遥拜頭首工)の眺め
肥薩おれんじ鉄道の鉄橋、九州自動車道の橋が直ぐ近くに見えます。
遥拜頭首工管理の桜
場 所

球磨川に平安時代末から鎌倉時代初めにかけて杭瀬が造られた場所で「遥拜の瀬」と呼ばれていたそうです。現在では近代的な堰に変わり、管理事務所等工事を記念して桜が植えられた公園になっています。桜は、豊葦原神社とその裏山に咲く桜が一体になってなかなか見事です。
『遥拜頭首工の歴史
八代最古の大仕掛けな農業用水堰で、古くは八代城主名和氏時代に川の中に杭を立て並べ、しがらみを施した杭瀬といわれる用水堰がありました。約360年前、加藤清正により大型の石割や自然石を用いて石堰に改築されたと伝えられています。昭和23年にコンクリート造りとなり堰の高さは3mに強化され、水田かんがいの要となりました。日本経済の発展にともない、農業経営も近代化の必要性にせまられ、八代地方の農業も大きく発展すべく八代平野農業構造改善土地改良事業が進められることとなりました。これに伴い農業用水等の確保が必要になり、昭和42年フローチングタイプの頭首工が築造され、旧堰は取り壊されました。昭和36年から平成3年まで堤体及び護床工事の改修を終え、現在に到っています。』
豊葦原神社からの眺め
球磨川(遥拜頭首工)の眺め
肥薩おれんじ鉄道の鉄橋、九州自動車道の橋が直ぐ近くに見えます。
遥拜頭首工管理の桜
場 所












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