和水町 肥後民家村のスイレン(2014年)
2014年 7月11日 和水町 肥後民家村のスイレン(2014年)
睡蓮が咲き始めていましたが、花数はまだ少なかったです。水車近くの白の睡蓮は咲居ている所と、咲いていない所に分かれてしまったようです。
今回、民家村外の右側奥(北側)に「縄文のむら」があるとのことで行ってみました。6個の竪穴住居跡があり、貝塚もあるようで一部模型のように見ることもできました。



民家村には5軒の民家が移築されています。宿泊も可能なようでした。
旧布施家住宅(新潟県上越市安江より移築) 山野家住宅(玉東町上白木より移築)
縄文のむら
PC吊床版橋という「縄文橋」を渡ると「縄文のむら」がありました。
『菊水地区の北側に位置する若園台地には、肥後古代の森整備事業の中で唯一の縄文時代遺跡である若園貝塚が所在しています。貝塚は、当時の人々の生活を知るうえで重要な手がかりとなるものですが、地中に埋蔵されているため調査時に採取した貝層の一部を広場西側に展示しています。貝塚周辺部では当時の生活の様子を再現するため、縄文住居、縄文人像、縄文土器を展示し、併せて縄文時代の植生である照葉樹j林を復元することにより、この地域を「縄文のむら」として整備しました』
復元された竪穴住居が傷んでしまっていたのはちょっと残念でした。 ネジバナも咲いていました。



興味深かったのは、縄文土器にも時期によって、色々な土器があることが、複製土器で説明されていたことです。
『縄文時代は早・前・中・後・晩の5つの時期に分けられ、時期ごとに土器の形・文様・色の違いがあります。文様についてみると中期は雄大で土器の全面にほどこされましたが、後期になると次第になくなっていきます。晩期の終りのころには、次の弥生時代の土器のもとになる形がそろいました。園路沿いには熊本の代表的な縄文土器の複製品を時代ごとに展示していますので、散策しながら形・文様・色の移り変わりを見ることができます。』
早期:押型文・塞ノ神式、 前期:轟式・曽畑式、 中期:阿高式
後期:出水式、西平式、三万田式、御領式 晩期:刻目突帯文 の10種類の土器が坂道に展示されていました。
ついでに「肥後民家村」の直ぐ前にある「江田船山古墳」も見てみました。
史跡 江田船山古墳
古墳全長約77m×56mの前方後円墳です。明治6年に最初の発掘が行われ家型石棺から多くの副葬品が出土しました。その中でも75文字にのぼる銀象嵌の銘文と菊花文、天馬を施した長さ85㎝の大刀が見つかったことが江田船山古墳を代表しています。
石室にも入ることができ、ガラス越しに家型石棺を見ることができます。
場 所

睡蓮が咲き始めていましたが、花数はまだ少なかったです。水車近くの白の睡蓮は咲居ている所と、咲いていない所に分かれてしまったようです。
今回、民家村外の右側奥(北側)に「縄文のむら」があるとのことで行ってみました。6個の竪穴住居跡があり、貝塚もあるようで一部模型のように見ることもできました。



民家村には5軒の民家が移築されています。宿泊も可能なようでした。
旧布施家住宅(新潟県上越市安江より移築) 山野家住宅(玉東町上白木より移築)
縄文のむら
PC吊床版橋という「縄文橋」を渡ると「縄文のむら」がありました。『菊水地区の北側に位置する若園台地には、肥後古代の森整備事業の中で唯一の縄文時代遺跡である若園貝塚が所在しています。貝塚は、当時の人々の生活を知るうえで重要な手がかりとなるものですが、地中に埋蔵されているため調査時に採取した貝層の一部を広場西側に展示しています。貝塚周辺部では当時の生活の様子を再現するため、縄文住居、縄文人像、縄文土器を展示し、併せて縄文時代の植生である照葉樹j林を復元することにより、この地域を「縄文のむら」として整備しました』
復元された竪穴住居が傷んでしまっていたのはちょっと残念でした。 ネジバナも咲いていました。



興味深かったのは、縄文土器にも時期によって、色々な土器があることが、複製土器で説明されていたことです。
『縄文時代は早・前・中・後・晩の5つの時期に分けられ、時期ごとに土器の形・文様・色の違いがあります。文様についてみると中期は雄大で土器の全面にほどこされましたが、後期になると次第になくなっていきます。晩期の終りのころには、次の弥生時代の土器のもとになる形がそろいました。園路沿いには熊本の代表的な縄文土器の複製品を時代ごとに展示していますので、散策しながら形・文様・色の移り変わりを見ることができます。』
早期:押型文・塞ノ神式、 前期:轟式・曽畑式、 中期:阿高式
後期:出水式、西平式、三万田式、御領式 晩期:刻目突帯文 の10種類の土器が坂道に展示されていました。
ついでに「肥後民家村」の直ぐ前にある「江田船山古墳」も見てみました。
史跡 江田船山古墳
古墳全長約77m×56mの前方後円墳です。明治6年に最初の発掘が行われ家型石棺から多くの副葬品が出土しました。その中でも75文字にのぼる銀象嵌の銘文と菊花文、天馬を施した長さ85㎝の大刀が見つかったことが江田船山古墳を代表しています。石室にも入ることができ、ガラス越しに家型石棺を見ることができます。
場 所






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