南関町 国指定史跡・豊前街道南関御茶屋跡

2017年 2月15日   南関町 国指定史跡・豊前街道南関御茶屋跡
 そんなに大きな建物ではありませんが、藩主の休憩や宿泊などに使われた建物ということで、九曜紋の釘隠しや欄間などに、どこか格式を感じる建物でした。それでも床の間のある御居間でも質素な感じでした。お雛様などが飾られていました。
 以前から一度は行かなければと思っていた場所、古小代の里公園でお会いした方が「御茶屋跡に行ってきた。」とのことでしたので、帰り道に寄ってみました。
国指定史跡 豊前街道南関御茶屋跡
 南関御茶屋は、嘉永三年(1850)八月に起工して、嘉永5年(1852)正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊した公館です。古文書によると、それまでの御茶屋(南関町公民館付近)が、古く狭い上に間取りが悪く、藩士休泊の時に混雑する、という理由でこの地に建て替えられました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。
 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、御三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。
 通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。南関御茶屋は熊本藩主細川家のみでなく、宇土細川家、人吉藩主相良家、薩摩藩主島津家も参勤交代の折にたびたび利用していることが記録に見えます。
 大政奉還後、国の所有となった御茶屋のほとんどは小学校や役場等の公的施設として利用されていきますが、その後の用途に応じた増改築等で御茶屋本来の姿を消していくことになります。南関御茶屋の場合は、明治二十年代には個人の所有となり、「御茶屋跡」として大事にあつかわれ、民家や料亭として利用されました。昭和三年七月十八日には南関町にゆかりの深い北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で催されています。
 平成十五年八月二十七日に国の史跡として指定され、同年より国・県の補助事業として保存修理工事に着手し、平成十六年度末、往時の姿を取り戻すことになりました。』
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画像今では、案内の杭が立っているだけです。
南関御番所跡
 北側に上番所(役人二人)、南側に下番所(同六人)があった。この附近を今でも「ごばんどころ」という。』

場 所


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