南関町 大津山公園の桜(2019年)
2019年 4月 5日 南関町 大津山公園の桜(2019年)
駐車場から上っていくと石橋の周辺を中心にまとまった桜が、まだ満開といって良い見頃に咲いていました。上の段には枝垂れ桜も数本見ることができました。石橋の麻扱場橋や太閤秀吉にちなんだ太閤水などを見る事が出来ます。


上の段のハナカイドウ?に枝垂れ桜




麻扱場(おこんば)橋
『おこんば橋は、南関町大字下坂下、北辺田の内田川に架かっていたアーチ式の石橋で、平成5年にほ場整備にともなう河川改修によりい解体撒去のやむなきにいたり、ここ大津山公園内の太閤水の地に移転復元されました。建造年代は不明ですが、江戸末期か明治の初期と考えられています。石工名も残念ながらわかつていません。橋名は、昔内田川で麻のさらしが行われていて、橋の近辺を「麻(お)扱(こ)き場」と呼んだことによるものです。~ 省略 ~
[測定値] 橋長11.9m、幅員2.77m、スパン8.9m、拱矢4.7m 』


太閤水
『天正十五年(1587)太閤秀吉は島津征伐に行く途中飲み水を求めた。ないと聞くと秀吉は岩壁の一ケ所をグッとにらみ一喝した。するとそこから清水が湧いたという。』


場 所

駐車場から上っていくと石橋の周辺を中心にまとまった桜が、まだ満開といって良い見頃に咲いていました。上の段には枝垂れ桜も数本見ることができました。石橋の麻扱場橋や太閤秀吉にちなんだ太閤水などを見る事が出来ます。








『おこんば橋は、南関町大字下坂下、北辺田の内田川に架かっていたアーチ式の石橋で、平成5年にほ場整備にともなう河川改修によりい解体撒去のやむなきにいたり、ここ大津山公園内の太閤水の地に移転復元されました。建造年代は不明ですが、江戸末期か明治の初期と考えられています。石工名も残念ながらわかつていません。橋名は、昔内田川で麻のさらしが行われていて、橋の近辺を「麻(お)扱(こ)き場」と呼んだことによるものです。~ 省略 ~
[測定値] 橋長11.9m、幅員2.77m、スパン8.9m、拱矢4.7m 』



『天正十五年(1587)太閤秀吉は島津征伐に行く途中飲み水を求めた。ないと聞くと秀吉は岩壁の一ケ所をグッとにらみ一喝した。するとそこから清水が湧いたという。』


場 所
この記事へのコメント
大津山阿蘇神社の左側の斜面に咲いた満開の桜が素晴らしかったです。ピンクの枝垂れ桜なども混じり綺麗に咲いていました。
裏の大津山山頂には大津山城があり、桜の道を上っていくと三の丸、二の丸と山全体が城跡のようです。