京都府福知山市 福知山城
2022年11月14日 京都府福知山市 福知山城
熊本地震発生の折、福知山市社会福祉協議会様の企画でボランティア活動に20名以上の方が来ていただきました。一緒に作業をさせて頂いのですが、その中で「お城がありますよね」の問いに、「小さなお城です」と謙遜され答えていただきました。城好きなもので、あの時のお礼も兼ねていっか行きたいと考えており、Jリーグの試合の応援に合わせて訪れさせて頂きました。熊本地震の際は本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。
福地山駅に列車が近づくと、思っていたのとは異なり、小高い山の上に天守閣が見え、その地形に思わず素晴らしいお城と思いました。


駅からメイン道路を城に向かって行くと、まだ新しい市庁舎の先に福知山城が見え、写真を撮りながら進みます。
市役所近くから
裁判所前から

お城の入口に近付くと、イメージに無かった大きな櫓の形式の福知山市佐藤太清記念美術館があり、まずここでも道路を渡ったり、太鼓橋のような橋から写真を撮ったりしてお城へと上って行きます。
『福知山市佐藤太清(たいせい)記念美術館について
福知山市佐藤太清記念美術館は、1990年(平成2年)4月に開館し、文化勲章受章者であり、福知山市名誉市民である、日本画家佐藤太清の作品を中心に収蔵・展示してぃます。
佐絡太清(1913~2004)は京都府福知山市に生まれ、絵の道を志し上京し、児玉希望の内弟子として日本画の修行に励みました。
自然を題材にして、その優しさや生命力、一瞬のきらめきを写し取り、自身の中でゆっくり昇華させ、絵画へと表現することで、独自の「花鳥風景画」を完成しました。
現在、当美術館では、日展出品作品20点をはじめとする約100点の作品とデッサン、スケッチブックなどを収蔵しており、昭和12年に描かれた初期のスケッチから未完作品まで70年にわたる画伯の偉業を御覧いただくこどができます。現代日本画の粋を心ゆくまでお楽しみください。』


石垣と白壁の道を上って行きます。

野面積み?の石垣の上に門が見えました。


天守閣
『福知山城
福知山城は天正年間、明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり近世城郭として完成されました。
明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣、続櫓小天守閣が再建されました。
城郭研究の権威東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の復元設計によるニ重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表わしています。
構 造 鉄筋コンクリート造 三層四階建
延床面積 1063平方メートル
総 高 20.2ニメートル
竣 工 昭和61年11月9日 』


福知山城石垣の転用石
『天守閣の石垣は「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法で未加工の自然石が積み上げられています。また、五輪塔や宝篋印塔を始め、石仏、石臼、灯龍などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石と呼ばれています。転用石の大量の使用例は、福知山城や大和郡山城に見られます。再建時の発掘調査で五百個余りが確認されています。
中に、「延文四年」(1359)銘の五輪塔地輪(転用石の年号銘では最古)や、「天文十年」(1541)銘の五輪塔地輪(天守閣地階の階段石に転用)があります。また、宝篋印塔の塔身、基礎、基壇と、この地域の優れた石造品をうかがい知ることができます。』
銅門(あかがねもん)番所
『この建物は福知山城の銅門の脇(市役所の東)にあった番所で城内の建築物として当時の面影をしのばせるものです。大正時代のはじめに天守台(小天守台)に移築され更に昭和59年天守閣再建に伴いこの場所に移築されたものです。』




一周して門へ

朝輝神社
『福知山藩の藩祖と称える豊磐命朽木稙綱(くつきたねつな)公をお祀りしています。
朽木氏福知山藩は、寛文9年(1669)9月、常陸国土浦から入封した初代藩主稙昌から、明治4年(1871)廃藩置県時の為綱まで<
十三代二百年の長きにわたりました。此の間焼酎では、福知山入部当初から藩祖稙綱公の霊を奉祀し、尊崇してきました。』
鉄砲石
『福知山城主松平忠房が、鉄砲の名手牧重郎左衛門政盛を讃えるために、万治2年(1659)4月に建てた記念碑で、土師の絵堂坂(江戸ケ坂)にあり、昭和61年天守閣再建に当りこの場に移築されました。』

『豊磐井(とよいわいのい)について
本丸に残る井戸は「豊磐井」と呼ばれています。これは福知山藩主朽木氏初代稙昌の父である稙綱の神号「豊磐植綱彦命」にちなんだものです。
井戸の深さは50メートル(城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ)海抜は約43メートルですので、井戸底は由良川の河床よりも深く、海面下7メートルに進しています。
この井戸が掘られたのは朽木時代になってからと思われよすが、当時の井戸掘り技術の高さを示しています。』

天守閣からの眺め
天守閣は福知山市郷土資料館となっており、城の起こりから朽木時代などの細かな資料が展示されており、シアターでは明智光秀についての説明を見られました。時間が無くゆっくり見られなかったのが残念でした。
東側
北側
西側
南側

周りからの眺め
東側から


東南から

西側から こちら側が二の丸のようです。

知識不足ですので、所々にあった説明を記させて頂きました。
場 所
熊本地震発生の折、福知山市社会福祉協議会様の企画でボランティア活動に20名以上の方が来ていただきました。一緒に作業をさせて頂いのですが、その中で「お城がありますよね」の問いに、「小さなお城です」と謙遜され答えていただきました。城好きなもので、あの時のお礼も兼ねていっか行きたいと考えており、Jリーグの試合の応援に合わせて訪れさせて頂きました。熊本地震の際は本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。
福地山駅に列車が近づくと、思っていたのとは異なり、小高い山の上に天守閣が見え、その地形に思わず素晴らしいお城と思いました。
駅からメイン道路を城に向かって行くと、まだ新しい市庁舎の先に福知山城が見え、写真を撮りながら進みます。
お城の入口に近付くと、イメージに無かった大きな櫓の形式の福知山市佐藤太清記念美術館があり、まずここでも道路を渡ったり、太鼓橋のような橋から写真を撮ったりしてお城へと上って行きます。
『福知山市佐藤太清(たいせい)記念美術館について
福知山市佐藤太清記念美術館は、1990年(平成2年)4月に開館し、文化勲章受章者であり、福知山市名誉市民である、日本画家佐藤太清の作品を中心に収蔵・展示してぃます。
佐絡太清(1913~2004)は京都府福知山市に生まれ、絵の道を志し上京し、児玉希望の内弟子として日本画の修行に励みました。
自然を題材にして、その優しさや生命力、一瞬のきらめきを写し取り、自身の中でゆっくり昇華させ、絵画へと表現することで、独自の「花鳥風景画」を完成しました。
現在、当美術館では、日展出品作品20点をはじめとする約100点の作品とデッサン、スケッチブックなどを収蔵しており、昭和12年に描かれた初期のスケッチから未完作品まで70年にわたる画伯の偉業を御覧いただくこどができます。現代日本画の粋を心ゆくまでお楽しみください。』
野面積み?の石垣の上に門が見えました。
天守閣
『福知山城
福知山城は天正年間、明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり近世城郭として完成されました。
明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣、続櫓小天守閣が再建されました。
城郭研究の権威東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の復元設計によるニ重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表わしています。
構 造 鉄筋コンクリート造 三層四階建
延床面積 1063平方メートル
総 高 20.2ニメートル
竣 工 昭和61年11月9日 』
福知山城石垣の転用石
『天守閣の石垣は「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法で未加工の自然石が積み上げられています。また、五輪塔や宝篋印塔を始め、石仏、石臼、灯龍などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石と呼ばれています。転用石の大量の使用例は、福知山城や大和郡山城に見られます。再建時の発掘調査で五百個余りが確認されています。
中に、「延文四年」(1359)銘の五輪塔地輪(転用石の年号銘では最古)や、「天文十年」(1541)銘の五輪塔地輪(天守閣地階の階段石に転用)があります。また、宝篋印塔の塔身、基礎、基壇と、この地域の優れた石造品をうかがい知ることができます。』
『この建物は福知山城の銅門の脇(市役所の東)にあった番所で城内の建築物として当時の面影をしのばせるものです。大正時代のはじめに天守台(小天守台)に移築され更に昭和59年天守閣再建に伴いこの場所に移築されたものです。』
『福知山藩の藩祖と称える豊磐命朽木稙綱(くつきたねつな)公をお祀りしています。
朽木氏福知山藩は、寛文9年(1669)9月、常陸国土浦から入封した初代藩主稙昌から、明治4年(1871)廃藩置県時の為綱まで<
十三代二百年の長きにわたりました。此の間焼酎では、福知山入部当初から藩祖稙綱公の霊を奉祀し、尊崇してきました。』
『福知山城主松平忠房が、鉄砲の名手牧重郎左衛門政盛を讃えるために、万治2年(1659)4月に建てた記念碑で、土師の絵堂坂(江戸ケ坂)にあり、昭和61年天守閣再建に当りこの場に移築されました。』
『豊磐井(とよいわいのい)について
本丸に残る井戸は「豊磐井」と呼ばれています。これは福知山藩主朽木氏初代稙昌の父である稙綱の神号「豊磐植綱彦命」にちなんだものです。
井戸の深さは50メートル(城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ)海抜は約43メートルですので、井戸底は由良川の河床よりも深く、海面下7メートルに進しています。
この井戸が掘られたのは朽木時代になってからと思われよすが、当時の井戸掘り技術の高さを示しています。』
天守閣からの眺め
天守閣は福知山市郷土資料館となっており、城の起こりから朽木時代などの細かな資料が展示されており、シアターでは明智光秀についての説明を見られました。時間が無くゆっくり見られなかったのが残念でした。
東側
周りからの眺め
東側から
場 所
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